About Me

上の画像は、約3年間の海外旅行で自分が写っている一番お気に入りの写真。

場所は中国、東チベットのラルンガルゴンパで2014年5月に撮影。

あんまり写真撮られるの好きじゃないけど、この写真は撮ってもらって本当に良かったなぁ。

1980年代生まれ、関西育ちの男性。

大学卒業時まで自分の人生って海外とは全く縁がないと思っていたけど、いつの間にか世界旅行へ出かけてしまった人。

大学卒業後、自動車工場の設備に関する会社に電気設計として就職し、仕事で担当となったS自動車のインド工場担当となりインドへの出張を大体年2回ペースで経験。

それ以前は、大学の卒業旅行に初海外旅行でパッケージツアーにて友人と3人でイタリアへ。

いきなりイタリア!?な理由は、漫画「ジョジョの奇妙な冒険」の第5章が好きで、実際に現地を見に行ってみたかったから。

それ以外は海外への訪問は無く、インド文化や環境・生活を体験して自分が受けたショックはとてつもなく大きかった。

ま~インドでショックを受けたというのは、本当によく聞くあるあるな話だと思うが、やはり自分もインドに行って「何か価値観や人生観が変わったか?」と誰かに聞かれるとすれば、やはり”Yes”と答えるだろう。

初めて訪れた2006年の夏、日が落ちているとは思えない蒸し暑く恐ろしい気温のデリーの国際空港を一歩外に出ると、何百人と言う色黒い顔のインド人がギラギラとした白い目で、深夜にもかかわらずゲストを待ち構えていて、さらに人を呼んでいるのか?訳の分からない怒号も飛び交い迫力がすごいのなんのと言う状況。(本当に外国人狙いの泥棒も一部いたようだが。笑)

そして迎えの車に乗るため空港の出口から少し離れた駐車場への通路には、何十人と腕や足がない人、生きているのか分からないような赤ん坊を抱いているガリガリの母親、何かの中毒なのかただひたすら叫んでる人など、物乞いの数にまたまた圧倒。

インドと言う世界の中でも大国の、大都市デリーの玄関口で当時はこんなかんじ。

2019年に同じ空港を訪れた時は、見違えるくらい綺麗になっていて本当に驚いたものだ。

現地の人によくよく聞くと、さっき通路に居た子供は座っている母親の実の子ではなくレンタルチルドレンなのだと。

それまで聞いたことも無い単語だが、親が1日数十円~数百円で物乞いに子供をレンタルするそうだ。

何故か。

そちらの方が道ゆく人の情を得やすく収入が良くなるから。まじか、と。

そしてさらに驚いたのは、親の中には子供の目をくりぬいたり腕や足をわざと取って無くして、レンタルする親もいるらしい。

もちろん・・・そちらの方が収入が良くなるから。

これについては後々になって聞いた話だが、正直いまだに信じられないし信じたくない話の一つだ。

もちろん自国の人のこんな事情を、外国人に簡単に話したくないわなぁ。

そして空港を出て街中を走った先のデリー郊外にある目的地のグルガオンという街は、発展の最中という感じでとにかく町中工事だらけで空気の汚さがとにかくヤバすぎた。

家がない人も多いようで、夏は50度近い気温、そして熱波が到来し何十人と死んだというニュース。

それとは真逆に冬は本当に寒くて町中たき火だらけ、そして凍死のニュース。

とにかく今まで見た事、聞いたことないような話しか出ない現地での日々。

出張で泊まっていたホテルは1泊4~5000円位のインドではそこそこ良いホテルだったけど、横の空き地にはただ布を張った壁がないテントで暮らす10~15人くらいの家族がいて、裸の子供がペットの犬とか豚と泥まみれで遊んでいる日常が自分の部屋の窓から見えた。

停電なんかも1日何度も起こりそんな中級ホテルに滞在していても、もちろん関係なしで電気は落ちる。

さすがにエレベーターに乗っていて電気が落ちた時はビビったけど、ホテルには大抵外に自家発電機があるので復旧もあっという間で慣れたものだ。

近くにあるスーパーに行けば当たり前のように、封の開いた食品や直置きされた果物などにハエがブンブンとたかっていて、製造過程のエラーなのかジュースを買おうにも蓋が半分空いていたり、空袋だけレジに通してた人が居てどういう事?とよく見るとレジを通してないのにお菓子やジュースをガンガン食べる人、家族みんなで地べたに寝そべって涼をとる人たち、それがインドでの普通の生活だった。

街中をいけば勤務先の自動車工場で生産をしている小型車より大きな牛が普通に歩いており、他にも犬・猫・サルなど動物たちが普通に街中で生活をし、ひとたび大雨のスコールが降れば周囲の道路は冠水して辺り一面プール状態になり道路は大渋滞、いつもなら10分ほどで着くはずが2時間近くかかったことも。

本当に沢山出来事はあり言えばキリがないけど、例えば他にも数年後に訪れた旅行中の話になるのだが、列車でインド北部のガンジス川で有名なバラナシという街から他の街へ長距離移動をしようとしていた時、目的の列車の到着時間が4時間の遅れだったことがある。

時刻表を見た時「4時間待ちかぁ」とその頃はある程度インドに慣れてきていたのでまあ仕方ない。と一人で駅で待つことに。

途中、若いインド人学生10人位に見つかり、いい意味に絡まれて、1時間ほど自分のつたない英語で多くの質問に答えたりして話をしたりしたものだ。

そして4時間後、時刻表を見るとさらに1時間遅れの文字。それから待てども待てども1時間が追加され、結局8時間遅れで列車は無事に到着してくださった。

それに、自分が聞き逃していただけと思いたいが特に列車到着のアナウンスは無く、乗りたきゃ乗れば?みたいな感じ。

その列車を待っていたインド人たちが急に動き出して「なんか騒がしくなってきたなぁ」という雰囲気なので何気に駅員に尋ねたら「お前のチケットはこの列車だ、もう出るぞ乗るなら急げ」みたいな感じ。みたいな感じ。みたいな感じ。

「あ、はい。是非乗らせていただきます」と言う事で、全く問題なく次の目的地に着くことが出来た。

実はこの路線は結構列車が遅れることで有名みたいで、自分がバラナシを出る数日前にデリーに向かった同じ宿で知り合った日本人からこんなメッセージが来ていた。

「バラナシからデリーに向かう列車が32時間遅れて、デリーから日本に帰る予定の飛行機も逃しました」と。

たった8時間遅れで到着して、目的地に無事に着けたら感謝しないといけないよね!

そのバラナシに滞在中、ここは本当にカオスな街で大好きなのだが、正直言っていい思い出がほとんどない。

宿泊した宿のベッドにダニが居て恐ろしい痒さで眠れない日が続いたり、有名な火葬場を見に行こうとしたものの、しつこいガイドと言う名の一般人が必要もない入場料を払え払えとしつこく言われ「これ以上入るな!」と腕まで捕まれ怖くなってしぶしぶ払ったり。

後日、気の強い外国人と同じ火葬場に行ったら、普通に無料で見ることが出来た。

たしかに人の遺体を焼く場面を見るのは軽々しい気持ちで行ってはいけないのは良く分かる。もちろん写真撮影不可など当たり前のルールがあるのも分かる。

ただそんな場所で、ありもしないガイドだと言って、外国人から必要もない入場料と言ってそこそこのお金を取る生き方(本人からすれば商売なのだろうが)はどうなんだろう?とも考えてしまう。

いっそのこと外国人の進入禁止とか公式に出してくれたらいいのに。とか思ったり。

でもこのバラナシで物乞いをしている老人たちは「何のためにお金が必要なのか」という事実を知ることが出来て、やっぱり最初は興味本位だったけど見に来てよかったなぁと結果としては感じている。

その理由は、お金のない貧乏な人は川にそのまま流してもらい、お金がある人は自分を焼く薪を買ってそれで遺体を焼いてもらうと言う事だった。

ここでの紹介はほんの一部で書き出すときりがないけど、今考えてもあの時のインド生活は一生のうちに経験出来てよかったなぁと本当に思う。

普通の家に生まれて、普通の小学校に行って、普通の中学に、そして私立の高校・大学になんとか進学。

小学校は書道や水泳も習っていたけど、それらもいつの間にか行かなくなってしまっていた。

高校はバイトに明け暮れ、たいして勉強もせず、その時ハマっていたバイクを買って乗り回したり、バイト代を洋服や音楽CDに使う日々。

エスカレーターで入ったFラン大学もバイト中心と言っていい生活で、授業を途中で抜け出したり親には言えないような散々な内容。

週末は調子に乗ってクラブに行ったり、大して味も分からない旨くもない酒をなんとなく付き合いで飲んだり。

普通に何となく流れで就職活動をして、普通に何となく流れで就職が決まり、普通に何となく働きだした。

働き出してもしばらくは実家から通い、朝と夜は家に居れば親が作ってくれるご飯が出てくる。

満員電車いやだなぁとか、働きたくないなぁとか、仕事めんどくさいなぁとか思っていた。

社会人になって給料をもらいだしても、数万~5万くらいの食事代くらいしか家には入れず、とくに親にも何もしてこなかった。

住み慣れた帰るべき家があって当たり前。

家に居るとご飯が出てきて当たり前。

大学行って卒業できたんだから仕事があって当たり前。

着る服は当然・着ない服もタンスにあって当たり前。

家やお店に食べるものがあって欲しい時自由に買えるのが当たり前。

銀行口座とか貯金箱に多少なりともお金があって当たり前。

携帯電話を持っていて当たり前。

パソコンを持っていて当たり前。

カメラを持っていて、バイク・車を持っていて、スキー・スノボ用具を持っていて、サーフィン用具を持っていて、つり道具を持っていて、CDやレコードを持っていて当たり前。

自分がこの出張でインドに行く前は、これらすべてが当たり前な事なんだとなんの疑いも無く思っていた。

20歳を超えて立派な大人、そして社会人になってしばらくしてからも、これが普通の生活だと本気で思っていた。

そう、インドに行く前までは。

家がある。食べるものがある。お金がある。着る服がある。学校に行ける。習い事に行ける。仕事がある。趣味の道具がある。五体満足で生きている。

このなんの変哲もない普通だと思っていた日常が、どれだけ恵まれていたのか、どれだけラッキーな人生なのか、どれだけ素晴らしい親に育てられたのか、どれだけ・・・。

なんともお恥ずかしい話だが、ここでようやく20代半ばで本当にキリがないくらい今までの自分の人生が恵まれていたことに気づくことが出来たのだ。

老子のお言葉を借りるなら「知足」(足るを知る。”知足者富”より)

南米ウルグアイの世界で一番貧しい大統領と呼ばれたホセ・ムヒカ元大統領のお言葉を借りるなら「貧しい人とは少ししかモノを持っていない人ではなく、もっともっとといくらあっても満足しない人なのだと

(自分はこの世界一貧しいという言葉はあんまり好きじゃなく「世界一(心が)豊かな大統領」だと思ってるけどね)

会って間もない人に自分の趣味が旅行だと言いインドにも行ったことを伝えると、頻繁に帰ってくるたった1文の質問「インドに行って何か価値観や人生観が変わったか?」。

この質問をやはり聞かれるとすれば、自分は”Yes”と答えるだろう。

この”Yes”の3文字の中には、上の伝えきれない色々な経験と気付きをすべて言い表したい3文字なのかなと思えてしまう。

そんな感じで入社して5年目、あの未曽有の2011年にあった東日本大震災を目の当たりにし、自分が生きているのは偶然の重なりでたまたま運よく生きている、ただ単に生かされているんだなぁと感じた。

そして今後自分にいつ何が起こるか分からない、生きてるうちに本当にやってみたい事をやってみよう!という思いをその時強く受けたのは間違いない。

さらに当時大好きだったTV番組「アナザースカイ」に出ていた高城剛さんの、旅行・仕事しながら世界を回る生活を紹介する回にさらに衝撃を受ける。

このブログ「Another Skies」の名前は、どうしてもその時の思い出がありそこから頂いてしまった!

この1度きりの人生、何か悔いの残らない人生にしたい・挑戦したいと思い、当時勤務していた会社を退職し、準備をしついに2011年12月色々な世界を見たいという思いを実行に移し世界旅行の為、日本を出発。

海外旅行の1か国目を東南アジアのタイ王国をスタートとしつつ、トラブルもありながら東南アジアのカンボジア、ベトナム、ラオス、ミャンマーをぐるりと回り一周、そこからフィリピンのセブ島への英語の語学留学、そして予定には無かったもののオーストラリアへのワーキングホリデーを1年半行ったのち2014年1月に日本に一時帰国。

続きの旅行をする準備を行い翌月2014年2月に再出発し、日本からマレーシアのクアラルンプール経由でインド南部のコーチンへ。

今考えれば、あれほどインド出張が嫌だったのにまた自ら好んでいくなんて、本当に不思議な国だ。

日本からインドまでLCCのエアアジアで2万円台で行くことが出来る、そんな世の中になった事に驚きつつ、そこから再度東南アジアを経て、中国成都へ移動をしそこからチベットのラサ、東トルキスタンのウイグル地区、中央アジアのキルギス、カザフスタン、ウズベキスタンを移動してトルコへ。

ヨーロッパではスペインのトマト祭りに参加したり、ギリシャのサントリーニ島で深い思い出を作りながらうろうろして、アフリカ大陸北部のモロッコから大西洋を飛びアメリカのニューヨークに行きそこからロサンゼルスへ空路で移動し陸路で中米、南米へ。

そこでは一生忘れられない本当に素晴らしい光景である、雨季のウユニ塩湖などを楽しむことが出来た。

そのあと途中またまたトラブルもありながら、南米南部のアルゼンチンのブエノスアイレスから東南アジアに帰り、2015年2月に日本に無事帰国!

このときの海外旅行の思い出や、それ以外にも日本や各国のお気に入りのレストランの紹介、お気に入りの写真をこのブログにまとめていく予定だ。

・好きなもの

★タイの4月にある新年を祝う水かけ祭り「ソンクラン(Songkran)」

    2012年に初参加!その後は2013、2014、2016、2017、2018、2019年に参加。

    2020年・21年・22年はコロナウイルスの為イベントは中止・・・”本当に残念だ”

★ラーメン

    豚骨ラーメン「無鉄砲」と「しゃばとん」、味噌ラーメン「信玄(北海道)」

★ウイスキー

    余市、フロムザバレル、マッカラン

★音楽 

    Judy And Mary / 風に吹かれて

    m-flo / L.O.T. (Love Or Truth) (Agape mix Instrumental)

    Faye Wong / Eyes On Me

★映画 

    容疑者Xの献身

    手紙

    天使のくれた時間

★TV 

    大河ドラマ 龍馬伝

    半沢直樹シリーズ

★衣類 

    スニーカー:アシックス GEL-LYTE 3

    パンツ:リーバイス 501CT

・苦手なもの

   絶叫系マシーン、心霊系、ダニの痒さ(これだけは慣れることがなかった)

・趣味

   食べる・寝る

★カメラ関係

・デジタル一眼

 デジタル一眼レフカメラ(Canon KissX→)
 デジタル一眼レフカメラ(Pentax K-30→ K-3→ K-3II→ )
 デジタル一眼ミラーレスカメラ(Olympus OM-D E-M5 Mark III “使用中”)

・コンデジ
 コンパクトデジタルカメラ(Fuji F10→ F30→ F31fd→ )
 コンパクトデジタルカメラ(Sony HX5V→ WX300→ HX50V→ WX500→ )
 コンパクトデジタルカメラ(Canon G7Xmark2)”恐らくコンデジは卒業”

※このうちK-30,K-3,WX300,G7X-2はソンクランで水没・廃棄(笑)

★スマホ関係
 iPhone(iPhone4→ 7→ 12ProMax 期限内返品→ 12Pro→13Pro→ 14Pro “使用中”)

 Android(Xperia Z3 Compact→ Xperia XZ→ Xiaomi Mi9 “使用中”)

     (Redmi Note 11 Pro 5G “使用中”)

漠然と作ってみたページ、やりたいこと100選。

自分は今後何が出来るか分からないが、この自分の経験で得られたものを少しだけでも誰かの参考になればと思い、経験した事について書こうと、このブログ「Another Skies」を作ってみた。

日本に生まれ、いかに自分が恵まれた人生を送れているかをよく知ることが出来たインド出張と海外旅行。

しかし一体自分に何が出来るのか?この自分の無力さを感じやるせない日本での生活、葛藤が自分なりにあるのは確か。

少しでも誰かのために、役立つこと何か恩返しが出来れば・・・と願っている。

2022年11月末

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