世界旅行中、タイの次として2か国目に訪れたビルマ(ミャンマー)のヤンゴン。ビルマ自体には2012年1月18日~31日の間で滞在をした。
当時はまだ割と閉ざされていた国で謎めいた軍事政権のイメージがあり、とても恐怖感を持って訪れたのを覚えている。
しかも初日、飛行機がバンコクからヤンゴンに着いたのが夜の23時ごろ。当時はオンラインサイトで宿の予約ができなかったので、到着してタクシーでダウンタウンに向かいそこから歩いて宿を探し回った。
当時のタクシーは本当にボロボロ。70年80年代とかの日本車が普通に走っている状態だった。
バンコクのカオサンロードのような場所があると思っていたが、目論見は大きく外れた。
ダウンタウンに到着し、ろくに街灯もついていない中、汗だくになり重たい荷物をもって宿を探すこと1時間以上。
満室で何件も断られ、5件目くらいで見つけた宿にたまたま日本人のゲストがおり、その宿も満室だったが部屋をシェアしてくれると言う事で事なきを得た。
彼もその日ヤンゴンに着いたと言う事で本当にラッキーだった。
結果的に何もトラブルは無かったが、深夜のヤンゴンのダウンタウンを歩くのはただただ恐怖だった。
見ず知らずの自分に場所を提供していただき、本当にその方には感謝をしている。
翌日、宿を出て外を歩いてみる。
まずは現地のお金が必要だ。タクシーと宿代はUSドルで支払えたが、一般的に販売されているものやレストランの支払いは現地の通貨で払うしかない。
宿をシェアしてくれた人と近くの銀行に行き両替をお願いする。USドルとユーロとシンガポールドルだったか。限られた通貨のみ両替をすることができた。
またこの両替が大変で少しの折り目でも、小さなシミがあっても銀行中の人が10人ほど(ほぼ全員)集まり、その紙幣をじっくり見つめる。あーだこうだと言いつつ、汚れている紙幣はとにかく両替をしてくれないのだ。
自分が持っていた500USDのうち300USDのみ交換できたのはいい思い出だ。
一緒に行った日本人の旅行者は、1000USD中、200USD分しか交換できなかったので驚き。
旅行の日程すら変更さぜるを得ない状況に陥っていた。
ひとまず両替が済んだところでぶらぶらと歩いてみる。タイとは違ったスタイルで食事をする人々。なかなかパンチの効いているお店があり食べてみることに。
その注文した麺料理は何とも言えない味だった。これがビルマの味か、と感慨深かった。
その横でコピーのCDかDVDを売る子供たち。これがビルマの日常か。
とにかくこの国は日本車が多い、そう感じるのに時間はかからなかった。
出会う車ほとんど恐らく9割以上が日本車、しかも結構古めのタイプの車が多く走っていた。
公共交通機関のバスも日本のバスが使われており、おそらく無償で提供をしているのかなと思った。
その後行くラオスも日本のバスが多く走っていたが、こういうODAなんかはいくらでもやればいいと思う。
耐久性と信頼性は抜群だもんな、日本の車は。
国全体を通してすごく懐かしいと感じれたのは、その街の風景もあるだろうが、このような自分より年上の日本車たちも数多く走っていた事も1つの要因としてあるだろう。
そして出会う人の多くが、人懐っこく、とても優しく、笑顔が本当に素晴らしかった。
またビルマは敬虔な仏教国でもあり、街なかにキラキラと光る大きな仏塔がそびえたっていたのも印象的だ。
この仏塔はスーレーパゴダ。パゴダとはミャンマー語で仏塔を指す。
しかし何といっても一番はシュエダゴン・パゴダの巨大さと綺麗さだろう。
街の北の方に位置しており、ヤンゴンNo.1の観光スポットだとおもう。
長い階段を登って進んだ先には、見たこともないような大きな仏塔がそびえたつ。
昼もきれいだが、夜の雰囲気もとてもいい場所だ。
熱心な信者さんが沢山訪れお祈りをしている神聖な場所だった。
このような仏塔も素晴らしかったが、街中の雰囲気もなかなか独特な雰囲気を出していた。
街中にはアウンサウンスーチーさんのポスターが、アイドルのような感じで売られていた。
噛みたばこを作る少年。
街中の喫茶店。プラスチックの安い椅子がいい感じだ。
コーヒーはとてもおいしかった。
フレッシュジュースもとても濃厚で美味しかったのを覚えている。
アジアの閉ざされた国というイメージだったが、人々は本当に優しく居心地の良いところだった。
しかし生活に関してはなかなか慣れない点もあり苦労が多く、ヤンゴン以降も全然空室のない宿、交換できない米ドル、つながらないインターネットなど、思い出深い国となったのは間違いない。
コンビニエンスストアやATMもなく、クレジットカードも使えない国、ビルマ。しかし時代の流れにすぐ流れていくのだろうなぁ。
不便であっても変わらないでいてほしい気持ちを持ってしまう、そんな印象を持った国だった。