2018年8月に訪れたカンボジアのシェムリアップ。
人生で2回目の訪問で、約6年ぶりの再訪ということになった。
前回はアンコールワットを中心に観光をしたが、今回は以前行かなかった戦争博物館に行こうと思っていた。
ということで、ゲストハウスの近くで自転車を借り、戦争博物館へと向かった。
↑戦争博物館は中心地から少し離れたところにある。
自転車で大通りの6号線を西に向かって進んでいくと、途中に見えてくる大型ホテル。
中心地には大きなスペースがないからか、このような立派なホテルは6号線沿いに沢山立っていた。
そしてメインのゲストはやはり中国人のようだった。
これらのホテルを横目に見ながら20分ほど進むと、戦争博物館の看板が見えてきた。
これらの看板が容易に見つかるため行き過ぎるということはないだろう。
戦争博物館は6号線を西に向かって右に曲がった場所にあるので、あらかじめその方向の道路を通行すれば楽だと思う。
看板を曲がって進むと、このようなオブジェが見えてくる。
おそらくもともとは機関砲かなにかの土台だと思われる。
この辺の道路は未舗装などで道はよくないが、自転車で問題なく通ることができた。
そして見えてきたチケット売り場。
ここで大人一人5ドルのチケットを買い先に進む。
この戦争博物館は英語での表記がメインになるので、苦手な方は内容を理解しにくいのが非常に残念だ。
もちろん武器や兵器、イラストなどで戦争の悲惨さは伝わるが説明が分かると数倍リアルに感じるのは間違いない。
ここで販売と同時にチケットの確認をするのでそのまま先に進んで自転車を止めた。
営業時間は毎日8:00~17:30分とのこと。
この門をくぐったら、ツアーのトゥクトゥクやバイクが数台いるのでそこに駐輪して回った。
入ってすぐにあるのが砲弾で作られた「トイレ」と「ようこそ」の看板。
中の展示物もそうだが、とにかくこの砲弾が多く展示されているのが印象的だった。
ここは主にインドシナ戦争とカンボジア内戦で使われた武器が飾られており、約50年前実際に戦争に使用されていた。
まず入ってすぐ見えてくるのが、大きなヘリコプターだ。
20人くらいは乗れそうな大型のヘリコプターが、時を重ねたせいで大分年季が入っている様子で鎮座している。
窓は白く濁っていたり、一部部品もなくなっているが、その大きさは圧巻だ。
そしてそのヘリコプターの横にあった戦闘機。
プロペラではなくジェット戦闘機が、こちらも大分朽ち果てた感じで展示してあった。
そこから奥に行くと、いろいろな兵器が点々と置かれている光景が広がっていた。
こちらはなんだろう、持ち運び可能な砲。砲弾も前に並べられている。
その奥には機関銃かな。
こちらの展示は比較的きれいに残っている。
こちらは車体下部がボートのような形の戦車に見える。
外装はさびており、タイヤもなくかなりぼろぼろの状態だ。
こちらは14.5㎜のソ連製対空火器と書かれている。
こちらの戦車は看板も無く、機種すら不明。
これでも博物館の展示戦車の中では、比較的きれいな状態で残っていた方だ。
間近でみると迫力がすごい。
一生運転したくはないしもう二度と活躍もして欲しくないと心から思うが、やはりこういう機械をみるとテンションが上がるな。
こちらは多分同じ機種の違う個体の戦車。
前面が大きく壊れており中が見える状態だ。
奥まで貫通して見えるが、この中は何人くらいで運転をするのだろうか。
この戦車たちを抜けると、小屋の中に銃や写真などが展示している場所があった。
数多くの銃がこのように展示され並んでいる。
現地のガイドさんが触ってもいいよ、というので1つもってみたがかなり重い。こんなものをもって戦場を駆け回っていたなんて。
4~5キロは余裕であったと思う。
銃の仕組みだろうか。おそらく当時のままのポスターが展示されていた。
この小屋の前に展示していた台座。銃身が上を向いているのでおそらくこれも対空機関銃なのだろう。
少し形の違う銃。
こんな手にとって見れる博物館なんて、そうそうないんじゃないかな。
カンボジアのいい意味で緩さというか、実体験型博物館というか。
こちらは中国製の85㎜砲。
いまにも打てそうな状態で残っている。
カンボジアのあのポルポトが使っていたと書かれていた。
ハンドルが何個もあるけど、どうやって照準を合わせていたのだろうか不思議だ。
別の小屋に置かれていた砲弾。
ここは銃ではなく、地雷探査の機械やガスマスクなどが置かれて展示されていた。
POPなキャラクターが演出しているポスター。
何を意味するのだろうか、×印の木の先には地雷があり行ってはいけない、と表現していそうだな。
こちらは説明があったT54型の戦車。
ソ連製で1954年に作られたようだ。
そんなに前の戦車だが、1979年からカンボジアで運用され、運用停止される1994年まで使われていたようだ。
1994年という年代はつい最近のように感じてしまう。
こちらも同様のT54だろうか。履帯が壊れておりぼろぼろだ。
022という何かの個体番号が砲塔に表示されている。
中はこのように落ち葉だらけ。
これだけ破壊された戦車が多いということは、それだけ戦争が激しかったと言う事なのだろう。
博物館内にはこのように、実際の地雷エリアのようなエリアがあった。
行ったことはないが、今現在もカンボジアにはこのようなエリアが沢山あるらしい。
少し怖い地雷撤去の人形モデル。
対空や対地の機関銃が近くに設置されていた。
少しこの奥に行くと綺麗な8角形の建物があった。
この中には非常にリアルな、地雷の現物や写真の展示がされていた。
触ることはできないが、地雷のおそらく現物が展示してあった。
地雷にもこのような缶のような形、平べったい形など多種な地雷が用意されている。
こちらはまきびしだろうか。
人の足を止めたり、タイヤをパンクさせたりできるだろう。
下記は地雷で体の一部を失った人々の写真。
大人から子供まで、本当に見ていてつらい写真が多く飾られていた。
建屋を出てあったバレーボールコート。
なぜこんなところに?という感じで哀愁が漂っていた。
大型の大砲たち。
この大砲の対象物は戦車か建物かはたまた人か、いったい何なのだっただろう。
大型のトラックを改造したような、ロケット発射可能な展示物。
超巨大なソ連製、130㎜の大砲。
27㎞もの射程があり1952年に作られたと書いてある。
さらに進むと沢山展示している戦車たち。
タイプは分からないがおそらく流れから言ってソ連製だろう。
博物館の雰囲気はこんな感じ。
一定区間に点々と戦車や兵器が展示がされている。
のんびりとお昼ご飯を食べる勤務管理するスタッフさん。
犬もご飯をもらいに集まっていてほのぼのする。
こんなかんじで約1時間ほどでぐるっと回れた、シェムリアップの戦争博物館。
日本にいてはなかなか戦争の兵器、残酷さなどを感じる場所が少ないと思える。
カンボジアは悲惨な歴史が多かった国だが、その辛さをこれからも多くの国の人に発信をしてほしいと感じた場所だった。
シェムリアップにいく機会があれば、ぜひ訪れてほしい場所だと思う。